息子よ
とうとう君の誕生が近づいてきた。最近の母さんは大きくなってきたお腹にあばら骨を圧迫され、痛みにこらえながら毎日を送っている。残念ながら、妊婦はそう簡単に痛み止めの薬を飲むわけにはいかない。もっと言えば風邪薬一つもお医者さんへの相談と慎重な服用が必要になる。父さんは、ただ寄り添い、痛がる母さんを支えて家事を代わることくらいしかできることがない。男というのはつくづくこういう局面では無力なものだ。
さて、今日は世の中の原則の一つについて話しておこう。これは、誰もが気づいていながら、この原則への対応を間違える人が大半であり、君にはそうなって欲しくないから早く伝えておきたかった。
それは、この表題にあるとおり、世の中は基本的に不公平にできているということだ。もちろん、父さんがそうであって欲しいと願っているわけではないし、誰しもが公平な世の中であってほしいと願っているが、実際にはそうではなく世の中は不公平にできている。そして、誰にとって、どういう基準で公平であるべきかについては様々な価値観や意見があり、実はそう単純な問題でもない。
まず、前者について基本的な対処を述べておこう。以下に記すのは、今から数年前にある自動車メーカーのCM(君が大人になるときにどういう名前になっているか分からないが、今はホンダという会社だ)でのナレーションだ。これが、不公平な世の中でどう生きていくべきかを端的に表しているので、そのまま引用する。
「がんばっていれば、いつか報われる。持ち続ければ、夢はかなう。そんなのは幻想だ。
たいてい、努力は報われない。たいてい、正義は勝てやしない。
たいてい、夢はかなわない。そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。
けれど、それがどうした?
スタートはそこからだ。技術開発は失敗が99%。新しいことをやれば、必ずしくじる。腹が立つ。
だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。
さあ、きのうまでの自分を超えろ。きのうまでのHondaを超えろ。負けるもんか。」
どうだろう?君はこれを読んでどう感じたかな?父さんは既に50年近く生きてきて、このフレーズは非常に人生をよく言い当てていると思う。世の中には生まれてくる国や地域、世代、家庭環境等、様々な変数となる条件がある。さらに、君自身も、これから自分が持って生まれた能力や容姿・性格等について不満や優越感を感じることだろう。ただ、問題はそこではないんだ。
結局のところ、歯を食いしばって前に進んだり、うまく障害を避けたり、一時的に避難したり、工夫を凝らして生きていくしか手はないし、絶対に避けるべきは、不公平であることへ不満を持ち続けたり、恵まれているように見える人(実際にはそうでないことも多い)への嫉妬の心を燃やしてしまったりすることだ。これらのマイナスの感情は建設的な姿勢ではなく、なにも生み出さないばかりか、君の性格や人生を捻じ曲げていくだけだ。
もう一つ、いったい公平というのは何を基軸にすべきだろう?努力の程度?能力の程度?教育の機会?あるいは、その時に持つ権力の強さの程度だろうか?はたまた親から譲り受けた資産だろうか?
これらの基軸については、様々な意見があり、それぞれの立場の人達が自分にメリットのある基軸を前面に押し出していることが殆どだ。多くの場合、努力の程度に対して平等・公平であるべきというのが支持されやすい意見だが、努力が均等である場合、能力の差は無視してでも一番努力した人に権力や富を集中させることが本当に全体のメリットになるのだろうか。
こう考えてくると、公平・平等というのは確かなもののようで、実は非常に不確かであることが多い。だからこそ、君は自分の目の前に立ちはだかる課題や障害に対して、ひたすら真摯に熱心に立ち向かって欲しい。なぜなら、それが僕たちできる唯一の建設的な選択肢だからだ。
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