息子よ
お腹の中の君は順調に育っているようだ。脚力が強いのか(?)非常に強い力でお母さんのお腹を昼夜問わず中から蹴っていて、お母さんは慢性的に寝不足になっている。
僕からお母さんには少々言いにくいが、父さんは少しホッとしている。君のことを目で見えない状態で、お腹でその実感を感じられない父親としては、こういう報告を聞くのが君の無事を知る方法だからだ。
さて、前回は努力というものの必要性を一般論としてお伝えした。今回は、それに関連して人生を左右する出来事とは何かについて話そう。
ただ、まず結論から言うと、君が知っておかないといけないのは、人生を左右するのは、君に”何が起きるか”ではなくて、起きたことに対して君が”どう対処するか”ということだ。文字だけ読めば、当たり前のことを書いているように思うだろう。だが実際に人生を過ごしてみるとそうではないんだ。
人生においては、様々な苦難や感情をかき乱す事態が繰り返し起こる。難しいもの、簡単なものの違いはあるものの、課題を解決するのが人生なのではないかというくらい、日々色んなことが起きる。仕事をしていればなおのことそうだ。
そして、人生を自分で台無しにする人間は、多くの場合、起きたことによって台無しになるのではなく、それに対する対処を間違えるから人生を台無しにしているんだ。例えば、賭け事をする、そしてその賭け事で多くの金銭を失う、それで借金を作る、あるいは自棄になって大酒を飲んで体調を崩すといった具合だ。ここで、さらに愚かな人間はこれを賭け事でのツキがなかったことのせいであって、自分に理性が欠けていたということに気づかない。
学校生活を始めたり、社会に出たりすれば、必ず不運や心ない他人からの攻撃に見舞われる。これは、必ずだ。それでも、そこで怒りに身を任せたり、起きてしまった不運なことにだけ目を向けて自暴自棄になってしまったりせずに、自分に残されているチャンスや財産(これは能力や時間も含める)に目を向けることだ。
これは、実際にやってみると時に非常に苦しいものだ。忍耐と理性を要する。それでも、父さんは断言できる。これこそが君が前向きで実りある人生を送るための必要条件だと。そして、君がこれを読むころまでに、父親としてその忍耐と理性を培うためのサポートをしていくよ。僕の努力が足りなかったら、それも試練だ。それを嘆くのが良い態度ではないことはもう分かっているね?
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