努力というもの

生きていくこと

息子よ

先日、母さんはある検査を行った。もちろん、これには父さんも同行した。何の検査かというと、君に重度の先天性の病気や障がいがないかを出生前に確認する検査だ。父さんと母さんの間では、少々悩んだし、もし何らかの問題が発見されたら二人がどういう判断を下すべきか、さらに悩んだことだろう。

ただ、幸いなことにこの記事を書く段階では、君に重度の問題が起きる確率は非常に低いということが分かっている(今の時代の科学では、絶対に無いとまでは断言してもらえない)。そして、親の我々としてはホッとしたという言葉以外には何も見つからない。もちろん、すべての先天性の問題をこの検査で明らかにできるわけではないから、不安・心配は続くことになる。とにかく、今は無事に君と会えることを願うばかりだ。幸いにして、君の母さんは引き続き君を健康に生むために口にするものには十分に気を付けてくれている。

さて、本題だ。さきほど、今の科学ではできることに限界があるという話をした。君が僕らと同じような問題に直面する頃には、きっと、もっと新しい技術が開発されていることだろう。そして、これは地球上の他のどの生物にもない、人間ならではの”進歩”というやつだ。

父さんは、人間として生まれてきたからには”自分が生まれてこなかった世界よりも、生まれてきた世界の方をより良くしたい”と率直に思っている。そして、長い間、”自分の最大のライバルは昨日の自分”だと固く信じていた。父さんの信条だと言ってもよい。今は、多くの仕事の仲間が僕の出す方針や指示を待ってくれているので、”自分達や組織の最大のライバルは昨日の自分達だ”と思っている。

この思いを実現するのが「努力」だと父さんは思う。人間は感じたり、考えたり、記憶したりする能力を持っている。ただ、そういう能力を持っていることと、知識や技術を実際に備えているかどうかは別のことであり、なんの努力もなしにそれらを獲得することはできない。結果、努力なしに成長(進歩)はできないし、今ある世界をより良くすることもできない。

現状をさらに良くするためには、①過去から積み上げられた知識を自分に蓄え、②現在の仕組みを理解し、③未来のあるべき姿に向かって工夫や創造をしていくというプロセスが欠かせない。そして、こうしたプロセスは具体的には勉強やトレーニングに置き換えられる。学校や部活で習うことは、素晴らしい先人達が残してくれた知恵の集積だ。これを学ばないと今の社会や様々な仕組みがどう成り立っているかが分からない。ただ、この話は長くなるから、またにしよう。

いずれにせよ、こうした勉強やトレーニングを総称すると”努力”というものになる。結果、人間にとって、努力はその特質から切り離せないものであり、特に自分がひとかどの人物になろうと思えば、それこそ並々ならぬ努力が必要になる。もちろん、君だけでなく、多くの人が努力をしているし、能力があっても努力しなければ何も実を結ばない。そして、その世代・その社会において努力が実を結ぶには、努力の質と量で他を上回る必要がある。これが競争というやつだ。

これはこれで、なかなかしんどいものだ。疲れてしまうこともある(動物社会と異なり、人間社会は完全な弱肉強食でもない。一定のセーフティネットもあるけどね)。でも、忘れてはいけないのは、環境の変化で知識や経験はどんどん陳腐化していくから、成長過程ではもちろんのこと、こうした努力は生涯必要になる。だから、努力の仕方を知ることはとても重要だ。そして、努力が報われる時の達成感や自己肯定感は本当に素晴らしいものだから、ぜひ君にも感じてもらいたいと思っている。これは、人間が生きていくうえで、欠かせないものなんだ。

これから、このブログの中では、効果的な努力の仕方や続け方を父さんなりに伝えていく。君は君自身で工夫したり悩んだりして、君なりの方法を見出して欲しいが、一つの成功パターンとして参考にしていって欲しい。

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